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DEVELOPMENT OF THE LFA SUPERCAR

Akio Toyoda and the Car That Redefined Lexus

スーパーカーLFAの開発
豊田章男とLEXUSを再定義したモデル

世界最大の自動車メーカーの社長を務める豊田章男。
彼は今日も、LEXUSの誇るスーパーカーLFAのコックピットにいる。

あるサーキットのメインストレート。豊田は周回のたびにトップスピードを時速5kmずつ引き上げ、遂には時速220kmを超える。そして、今度は厳しいコーナーを攻略すべく、ブレーキングのタイミングを探る。
ブレーキングが遅ければコースアウトし、逆に早すぎるとタイムをロスする。これは、まさにレーシングドライバーのジレンマだ。限界まで突っ込むか、その手前で踏みとどまるか。シビアな判断が求められる。

豊田は誰もが知る「社長」という顔だけでなく、レーシングドライバーとしてもう一つの顔も持つ。

世界中のどこを探しても、ここまでスピードを追求し、そこに到達するだけのドライビングテクニックを持ち合わせている自動車メーカーの社長はいないだろう。

Akio Toyoda豊田章男氏

Hiromu Naruse成瀬弘氏

58歳(2014年9月現在)の豊田は言う。「私の師匠である成瀬弘さんは『クルマを語りたいのなら、そのクルマを本当の意味で乗りこなせなければならない』と教えてくれた」と。だからこそ彼は15年前、“トップガン”と呼ばれたチーフテストドライバーの成瀬から、指導を受け始めたのだ。豊田のトレーニングは、協力関係にあるヤマハが所有する特設コースでひそかに行われた。

「私はただひたすら、成瀬さんのブレーキランプとラインを追いかけました。彼のブレーキランプが消えるタイミングが、私がアクセルを踏むタイミングでした」と豊田は語る。このトレーニングを通じて、成瀬は高速走行時の制御だけでなく、自らの手でクルマをコントロールし、レスポンスを引き出すこと、「FUN TO DRIVE」を豊田に教え込んだ。

LFA

豊田は、いわゆる「カーガイ」であり、無類のクルマ好きだった。
祖父で創業者の喜一郎や父の章一郎と違い、彼はエンジニアとしての教育を受けたことがない。その代わりに彼は、エドセル・フォード2世も学んだバブソン・カレッジで経営学を専攻した。

その後、トヨタに一般採用で入社した豊田は、初めの半年を製造ラインなどで過ごし、「トヨタウェイ」を徹底的に身につけた。現場での経験を通じて「人の尊重」「トヨタ生産方式」といったトヨタの核となる考えを体得した。

経営者としての彼のキャリアは最初から決められていたと思われるかもしれないが、決してそうではない。事実、豊田の同期にも優秀な人材は数多くいた。「私は、たまたま創業家の出身だっただけです」と豊田は言う。「創業家」ということで、帝王学や経営面ばかりが注目されがちだが、一つ見落とされていることがある。それは、彼が誰よりも「クルマ好き」であるということだ。

「父は販売前や、開発途中のものでも、お構いなしであらゆるクルマを自宅に乗って帰ってきた」豊田家の人間にとって、クルマを運転することは何よりの楽しみだったのだ。
1960年代に広く普及した道路の建設ラッシュのさなか、豊田家の余暇のほとんどは、ドライブに費やされていた。

当時を懐かしむように、「父は幼い頃から常に私に意見を聞いてきた」と豊田は振り返る。クルマに対する彼の愛情は、一度も消えたことがなく、かつては、こっそりポルシェを所有していたこともあるほどだ。

1980年代。従来の高級車に対抗し、高級車の価値を築くべく、父の章一郎が社長、そして伯父の英二が会長であった当時にLEXUSの立ち上げを決めた。LEXUSはバブル経済の中で誕生し、LS400は喝采を博した。

LS 400LS 400

shibetsu test course

LEXUSが開発された舞台の一つに、高機能テストコースがある。
北海道の士別に建設されたテストコースは、世界中の路面を再現することが可能な上に、数種類の高速走行路や電子監視システムなどの充実した設備を備えている。 エンジニアたちの想像力とモチベーションを駆り立てる最適の環境だ。

2000年のある日、ここで初のターボチャージャー搭載のセリカGT4、ST165型の開発者である棚橋晴彦が新型車の走行テストをしていた。

その晩、同僚たちとのお酒の席。棚橋は、同僚たちに持ちかけた。「このテストコースを使ってスーパーカーが開発できるかもしれない」。同僚たちはその言葉を待っていたかのように次々と賛同した。そしてすぐさま、その場にあったテーブルナプキンにコンセプトを書き始めた。1つの極秘プロジェクトがスタートした瞬間である。

少年時代は、マトラV12 F1のようなプラモデルづくりに没頭した。そして高校時代にはカーグラフィック誌を読みあさり、ランボルギーニ・カウンタックのミニカーに夢中になった。そんな棚橋にとって、極秘で進行するこのプロジェクトは、まさに自分のためにあるように思えた。

プロジェクトに夢中の棚橋は、まだ非公式のプロジェクトであるにもかかわらず、このクルマのあるべき姿についてアドバイスを求めるべく成瀬のもとを訪れた。成瀬は搭載するエンジンや乗り心地など、スーパーカーとしてのアイディアを次々と提案していった。そしてドライバーの冒険心に応えながらも、運転技術がさほど高くない人でも安全に運転できるスーパーカーの青写真を描いていった。

しかし、ここでプロジェクトは資金の面から暗礁にのり上げる。

Haruhiko Tanahashi棚橋晴彦氏

idea

棚橋と成瀬は成瀬の「教え子」である豊田に相談することにした。当時の豊田は、中国担当の役員で直接支援できる立場ではない。しかし、成瀬は彼が自動車会社の役員である以前に「カーガイ」であることを良く知っていた。

成瀬の予想どおり、豊田はプロジェクトにすぐに夢中になった。正直、このスーパーカーが自社のラインナップのどこに、どのように位置づけられるかの答えを出せないでいた。それでも、「まぎれもなく好奇心をそそられたし、試す価値があると感じていた」と豊田は当時を振り返る。

Akio Toyoda & Hiromu Naruse豊田章男氏と成瀬弘氏

以来、豊田、成瀬、棚橋は、ポルシェ、フェラーリ、アウディでテストドライブを繰り返し、研究を積み重ねていった。

「スーパーカーは何をもってスーパーカーとされるのか」当初、このスーパーカーを乗りこなすだけの運転技術を持っていなかった豊田も、訓練を重ねる度に多くのことを学んだ。そして、プロジェクトの可能性をより強く感じるようにもなっていった。次第に豊田はこのスーパーカーはLEXUSというブランドにこそふさわしいと感じるようになっていたのだ。

ちょうどこの頃、LEXUSではグローバルブランドとしての地位を確立すべく、様々な計画が立てられていた。15年前に北米で生まれたLEXUSブランドは、国内市場ではまだ導入されていなかった。しかし、2005年に導入が決定すると、オーナーとクルマを結びつける「フラッグシップモデル」が必要だと感じるようになっていた。そしてLFAこそがそれにふさわしいと。

「このクルマは秘伝のスパイスのようなもの。すべてのクルマがLFAにはなれなくても、LFAの培った技術や乗り味を加えることはできる。つまりLFAのレベルを向上させることは、そのまま、LEXUSモデル全般のレベルが向上することにつながる。その最たる例がISです。実際にISのボディ剛性はLFAの秘密のスパイスから、そのまま取り入れましたから」。

LFAの可能性を信じていたからこそ、棚橋からの支援の要請を豊田は快諾し、ともに進めることになった。

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